夜空は嘘をつかない

難しいことは後回し

寄せる波にも消されぬ足跡

 

 

 

こんにちは。

事あるごとに振り返りブログを書きたくなっちゃいます、そらです。

ブログっていいなあとつくづく思います。何がいいかって、書きたいと思ったときに書けるし、好きなことが書けるし……大学生だからしょうがないのですが課題で何かを書くときってテーマや分量が決められていて、なにより書くことを強制されているんですよね。書くことは大好きだし自分の長所となりえるものだと思っているけど強制されると何か違うなあと感じてしまいます。

何の制約もなく自由に使える時間が与えられたときって、自分が本当に好きなことに気づける時間だと思います。強制されていないときにやりたくなることって、利益とかそういうのなしに好きなことなんですよね。私にとってはそれが”書くこと”なんだと今年気づきました(読むことも同じくらい好きです。オタクのみなさんのブログが上がっているとウキウキしながら開いてしまいます)。予期せぬ自由な時間が与えられた私はあれ書きたい、これも書いてみたい、そんなことばかり考えていました。実際に形になって完成したものは僅かですが、もはや考えるだけでも楽しいんです。

 

”今年1年を振り返る”というワードをよく目にする季節になりました。

みなさんにとってこの1年はどんな年でしたか?

この1年間の思い出全てがコロナによる悪影響で塗りつぶされてしまうのはもったいない、私はそう思っています。確かにコロナ(と大学)に振り回され続けた1年間ではあるのですが、それだけじゃない。この状況だからこそ気づけたことがあるし出会えた方もいます。決して1年を美化したいわけじゃないんです。ただただ感じたものそのままを来年に持っていきたい。

 

というわけで、今年を振り返って思ったことを記します。

 

 

 


オタク用のアカウントを作ってから一年以上経つ。私は大学生なので、フォロワーさんは自分と同じ学生か、あるいは社会人の方々が多い。大学では同年代の同じ学生にしか出会わないので社会人の方と出会うのは自分にとって新鮮なことである。実は。

TLを追うのも私にとっては楽しみの一つだ。仕事に追われて疲労困憊の様子、ライブや特典会のために休みを取ろうか悩んだり、仕事中のちょっと嬉しい出来事を記したひとつの呟き。仕事終わりにバタバタしながらもそのまま遠征するワクワク乗せた文字が躍る日々が懐かしく、少しずつ戻ってほしいと思っている。

みなさんのツイートを目にして、仕事をする未来の自分はどんな毎日を送っているのかなと考えるようになった。少しずつイメージできるようになった。きっと毎日心も体もへとへとだけど、推しの放送や呟きに掬い上げられて日々を過ごしていくのだろう。私にも、仕事終わりに電車に飛び乗って遠征する未来がやってくるかな。

 

 

 

 

 

今年は誰もが”自分のオタクとしてのあり方”を問われた一年だった。当たり前だと信じていたものがあっという間に崩れ去って、学校に行く、仕事に行く、ということさえ形を変えた。この状況下において一体何が確かで信じられるのかわからなくなってしまう瞬間に度々直面した。

自分にとって当たり前だった生活が停滞したときに思ったことがある。

「お金がない、時間がない、足を運べない。そういう状況になったとしても、それを理由に好きをやめることはしたくない」

見られるコンテンツは絞られてしまうかもしれないけど、彼らを好きだという気持ちひとつがあるのなら好きでい続けたいと思った。誰に促されるでもなく、自然に湧いてきた気持ちだった。好きでいる理由は「好きだから」でいいのだ。

 

 

 

 

 

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信じている、というよりは信じていたいから信じる、という方が的確かもしれない。

身近な大人に「困ったことがあったらなんでも相談してね」と言われると最大限警戒してしまう。なぜなら本当に困っていることを話したとて相手にはわかってもらえない確率がそれなりにあるからだ。わかってもらえないし何も生み出さないのならば最初から言葉にしなければいい、期待しなければいい、信じなければいい。

そんな私がどうにかこうにか言葉をかき集めて伝えようとするのは、相手を信じているときだ。きっと伝わると、ちゃんと受け取ってもらえると思っているから。信じているというよりそう信じたいのだ。

信じるために、信じていたいから言葉を重ねる。相手に伝えると同時に自分を支えるために。

 

 

 

 

 

ツイート下書きのなかに「オタクしながら大切なものをひろいあつめてる」という一文を見つけた。オタクをしていると、日常の中で取りこぼした数々を掬い上げてもらっているなと実感することが多々ある。推しに限らず、オタクのみなさまにも掬い上げてもらっているのだ。自分が日々を消費していく中でないがしろにしたり見逃したりしたものに目を止めて、そうかこういう見方もできるのかと気づかされる。自分ひとりでは見つけられなかった輝きを見つけることができたり、日々のなかに転がるなんでもない何かが少しだけ特別になる。

それともうひとつ。推しのメンバーカラーや推しの好きなものに影響されて、自分の世界では見つからない新しいものに出会うことがあるなあと日々実感している。”推し”が好きだと言っていた、話題にしていた、それだけで特別な意味を持つようになって、じゃあ少し触れてみようかなと手を伸ばすようになった。”好き”のさらに外側まで世界が広がっていく。

 

 

 

 

 

つい先日の特典会。言葉を交わせるのは年内最後だし1分間に収まることを、と思って年の瀬の挨拶をすることにした。今年もありがとうございました、ありがとう、と交わした後、推しがこんなことを言い始めた。

「今年は特になんにもできなかったけど」

この状況下でもできることを考え、工夫を凝らして、常に私たちを楽しませてくれた。ソロライブやペアライブで何度度肝を抜かれたことだろう。そしてこの人は、できなかったことではなくできたことに目を向ける人なのだ。

そう思っていた私にとってこの言葉は予想外だった。「特になんにもできなかった」という印象はまるでなかったから。

それと同時に、3月頭の放送で涙を流していた姿を思い出した。推し本人にとっては「特になんにもできなかった」と映るのかもしれない。

「毎日楽しくて、しんどくても挫けずにやってこれました」

考える前にそのまま零れた、そんな私の返答に推しは「よかった…!」と安心したように笑った。

 

 

 

 

 


最後に。 

たまに「言葉選びが好き」「考え方が好き」と言ってもらえることがあります。特にこのブログは自分が書きたくて書いているのですが、それでもこういったメッセージをいただくのはとても嬉しいです。本当に本当に嬉しくて、いただいたメッセージを何度も読み返しています。ブログを読んでくださるみなさま、メッセージをくださるみなさま、いつも本当にありがとうございます。これからも気が向いたときに読んでいただけたら嬉しいです。

 

 

2021年もたくさんの出会いがありますように。

それではみなさま、よいお年を。

 

 

そら