夜空は嘘をつかない

難しいことは後回し

ひとかけらの言葉にも愛を込めたい

 

 

今でもずっと不思議に思っている。

 

 

 

 

 

 

「俺ね~知ってるよ~」挨拶が終わって突然投げ込まれた言葉に、なにを?と思った。その後に続いたのは「そらちゃんでしょ、知ってるよ」。待って、どこで?なんで?思い当たる節はいくつかあるけれど、推しが指すものがどれなのかわからない。

何を「知ってるんですか?」と問いかけてみた私に対して依然として「うん、知ってるよ~」と答える。思い出しながら喋っているような、勿体ぶっているような、どちらかなんだろうけどどちらなのかはわからない口調で繰り返している。

脈絡がひとつもないのにどうして突然こんなことを話し始めたのかはわからない。……知っていることが嬉しくて報告してくれたのかもしれないけど、それだと私にとってあまりにも都合が良すぎる(そして可愛すぎる)のでやめておこう。

 

 

 

アイドルを推す人のなかで認知というのはそれなりに大きなトピックであるように思う。認知されたい、認知されたくない、どうすれば認知されやすいか、認知されたことへの喜び、エトセトラ。

私はというと、推し始めたころの感情としては認知されたくないというのが一番近かっただろう。これは認知に嫌悪感を抱いているわけではなく、私の存在が推しの脳みそのわずかな一部分でも占有してしまうのが怖かったから。申し訳なさや罪悪感があって、私のことは別に記憶にとどめてくれなくていいと本気で考えていた。

今の私は認知されたくないとまでは思わないものの認知されたいという積極的な思いは抱いていなかったりする。認知されるのだとしたら素直に嬉しい。けれど、されるために何か積極的に動くことはしていない。それなのになぜリプや手紙を送るのかと言えば「あなたの言葉やパフォーマンスに対してこんな言葉を綴りたい人間もいるよ」と表明したいだけなのだ。それが”私”だとわからなくていい。そういう誰かがいるのだと、それがどこかで僅かでもあなたの救いになってくれたらいいと、ただそれだけ。

私が手紙に名前を表記したり、手紙やトークコール申し込みで名前だけじゃなくてアカウントを表記することと矛盾が生じてしまうかもしれないが、これには私なりの言い分がある。メッセージを受け取るのは嬉しいだろうけど、もしそれに差出人が書かれていなかったら少しばかり恐怖が生まれてしまわないかと思うのだ。内容とは別のところでそれを生みたくなくて、記号のつもりで名前やアカウントを記載している。これを悪あがきと呼ぶのかなんというのかはわからないけれど。

 

 

 

「いつもリプくれるよね」「いつもありがとう」

私にとってはいつもじゃないけれど、この人にとっては”いつも”に相当するらしい。生配信にリアタイできないときも多いし、ツイートを見ていてもリプしないこともよくあるし、いつもそのアクションに応答できているわけではない。これは事実だ。だけども”いつも”と表現して、ありがとうと言葉を重ねてくれるのだ。

 

 

 

リプや手紙を読んでくれていることに疑いをかけたことは一度もない。だけどそれが自分に対しても適用されていることに実感がなくて(実感がほしいと思ったわけではない)今日推しからもらった言葉によって「読んでくれているんだ、伝わっているんだ」と実感した。嬉しかった。

 

 

 

みんなを相手に発信していくひとが、ひとりに向けて「あなたに伝わったのが嬉しい」「あなたに向けて伝えられたらいいのだけど、それができなくて申し訳ない」と言ってくれることにもったいなさを覚えてしまう。推しが応援してくれる一人ひとりを特別に思って接していることはよくわかっていて(とはいえこれはとても有難いことだ)、それでもその思いや言葉が自分にも向くことがこそばゆいというか、もったいないというかなんというか。いつもいつも不思議だなあと思うのである。

 

 

 

 ”みんな”を増やしていくところにあるひとが、とあるひとりのことを知ろうとすることに不思議な気持ちを覚える。「何歳になったの?」「誕生日はいつ?」当たり前といった口ぶりで問いかけてくることに毎回驚いてしまう。驚いてしまうけどそれと同時に「人と人とのやり取りなんだな」と思って、ひとつの人間関係が少しずつ構築されていくことが、なんだか嬉しい。

 

 

 

いつか全てを忘れてしまうかもしれない。言葉のひとつひとつを、誰と共有した時間なのかを、それらが記憶から抜け落ちてしまうときが来るかもしれない。それでも、言葉の端に感じたきらめきや暖かさを忘れたくないと思った。会話の中で抱いた感情にどんな名前がつくかはわからないけど、この心のどこかにいつまでも残っていてほしいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は言葉を刃として使いたくない。自分でも気づかぬうちに私の言葉が誰かに突き刺さっていることがあったら申し訳ないし、未熟なところがあるので実際誰かの傷になっていそうではある。ただ、刃だと自覚して研ぎ澄まして使うことを決してしたくないと思っている。

この言葉は、愛を伝えるためにある。そう信じたい。

 

 

そら

トークコール会にて心から溢れだした感情をそのまま言葉に書き起こしたものである。あえて整えず、そのまま残しておくこととした。