夜空は嘘をつかない

難しいことは後回し

世界を広げる魔法

 

 

「世界が広がった?」

 

 

色々な幸運が重なって沖縄、新潟、山口と3週連続で47ツアーに参加した。首都圏に住んでいる私にとってはなかなか足を運んだことがない土地への遠征が続く状態だった。どこもオタクとしては初来訪で、山口は人生初だった。季節柄どこも暑かったけどとても楽しかった。写真を見返す度、ライブを思い出す度、お土産に触れる度、楽しかったな〜という気持ちでいっぱいになる。良い旅ができた。

チケットを申し込んだり宿や交通を押さえたりそもそも行くことを決めるのは私自身であるが、結局のところ「大好きな人に連れてきてもらった」という気持ちになるのだ。だってきっかけをくれるのはあなただから。だから自然と「連れてきてくれてありがとう」という言葉が出る。「また連れてきてね」という約束をしたくなる。

 

沖縄は昨年人生初来訪を遂げたが、付き合いで来た形だったのでのびのびと楽しめたかというとそうでもなくて。でもいつか行きたいと思っていた場所ではあったので、今度は連れてきてもらうんだと心に決めていた。それがなんと1年経たず早々に叶ったので嬉しかった。せっかくだから存分に楽しみたいと思い2泊3日の予定とした。連日で開催される某バンドのライブにも行くことにした。

覚悟していたよりも暑く、少しの間屋外にいるだけで愛しのiPhone14は高温になり、昨年購入したカラーサングラスにかなり助けられた。正直入場列に並んでいる時が1番やばかった。入場してワンドリンクの水をもらうのがあれほど待ち遠しかったことはない。入場してからの方がむしろ涼しかった。でも沖縄の熱気に乗せられてなのか会場全体のボルテージも高く、新セトリ解禁日だったことも相まって、最高に楽しいライブだった。まさか2026年の5人体制の彼らでハロカバーが観れるとは!惚れ惚れするほどグルーヴ感が良く、最高だった。特典会の写真に写る私はあまりにも口角が上がっている。余程楽しかったんだね。

翌日はライブまで時間があったので、首里城に行ってみることにした。こちらもいつか行ってみたかった場所。電車の時刻くらいしか調べなかったのもあり想像以上に坂と階段がキツく、珍しくサンダルとスニーカーの2足持ちでパッキングしてくれた自分に感謝の意しかなかった。この日も快晴、あまりにも澄み渡る青空の下をひたすら登っていくのは大変だったけど、修復完成間近の美しい赤を見ることができて感動した。青空とのコントラストが非常に美しく、かいた汗が心地よく感じるほどだった。というか、普段仕事でかく様々な感情を含んだ汗より格段に気持ちよく汗をかいた気がしている。心が洗われた。

学生時代勉強をまあまあ頑張ってきて、積み重ねた知識が目の前の景色や経験と繋がっていくことの面白さも感じた。これまで頑張ってきた自分へのアンサーをもらえたような気がした。勉強をする目的って色々説かれているけれど、私にとってはこれだなと思った。自分の旅路を彩るもの。楽しい旅がより一層楽しくなる礎。これまで頑張ってきて良かったなあと思った。

 

新潟はたしか長岡の花火大会を眺めに行ったことがあるはずだが、しっかり観光したことはなかった気がする。上越新幹線に乗るのは初めてだったのでわくわくした。乗り慣れてきた東海道新幹線や幼少期から知る東北新幹線とは異なる車窓が新鮮だった。大宮から新潟ってあっという間なんだね。泊まりがけの遠征が続くので当初日帰りの予定だったけど、公演翌日にフリーライブがあると知って瞬時に計画を変更した。こういう軽やかさって大切。だってこれくらい軽やかに動ける方が、私の人生はきっと楽しいからね。

物販に行く前に白山神社に行ってみることにした。こちらも特に前情報なく足を運んだが、ちょうど夏詣とお祭りの季節だったようで、境内に並ぶ数々の風鈴が圧巻だった。じっとりと暑い日だったけど風鈴の音に気持ちが涼んだ。風鈴だけでなく提灯や蓮の花など見て楽しい箇所が多く、時間の限り歩いて回るのも楽しかった。こうしてお参りをすることが日常の私からうまく切り離してくれるような気がして好きだ。自身と友人たちと、それから大好きな人とそのチームの健康とツアーの成功を祈った。季節限定であろう風鈴と朝顔があしらわれたかわいらしいお守りをお迎えした。楽しい旅路を守ってくれますように。

不思議なタイミングで戻っていたチケットを取ったからか、入場は1番最後だった。他のドリンクが売り切れでコーラしか残ってないとかそんなことあるんだ。ライブは沖縄と一部セトリが違い、予想は外れてハロカバーはなんと曲目総取っ替えだった。ということは6曲覚えたってこと?にしてもダンスに迷いがなく、堂々と楽しそうで、私はやっぱりこの人が好きだなあと思った。個人的には9人時代を思い出す選曲もあり、自分がここにいる年月とその中で目の当たりにしてきた大好きな人の成長を想った。こんなに楽しい景色を見せてもらえるなんて、私はこの人が誇らしいなと思った。特典会でそれを伝えたら嬉しそうにはにかんだ後、俺もあなたの日々を応援しているよと返されてしまった。この人は今現場にいる私だけでなくそこに至るまでの日常の私のことも尊重してくれているのだと実感した。疑いなく信じることができた。その愛情に報いることができる人間でいたい。

 

さて、山口は初めて行く場所である。まず行き方もわからなくて色々調べるところから始まった。会場最寄りは新幹線駅だから東京から新幹線で行くことができる。羽田から飛行機で山口宇部まで飛び、そこから電車に乗る…飛行機に乗ったのに新幹線にも乗るルートがあるのか?なんなら乗り換え検索は福岡空港まで飛んでから電車を乗り継ぐ行き方を推してきた。どうしたらいいんだ?迷った果てに飛行機で山口宇部まで行き、そこからバスと新幹線を乗り継ぐ手段を取った。だって1回の旅路で飛行機にも新幹線にも乗れるなんて面白そうだと思ったから。その手段が1番手っ取り早かったのもあるけれど。

この日は入場整番に恵まれ、最前列に入ることができた。ライブハウスで最前って実はオタク人生初だった。近すぎて緊張したけど目の前の景色を余すことなく堪能できるのが嬉しかった。沖縄と同様のセトリだけどさらにパワーアップしたカバー演目はコールもできて嬉しかった。私はこのグループの、今を全力で楽しむ姿勢が本当に大好きで、5人それぞれのスタンスが好きだと実感した。コールしている時に確認するように目を合わせてくれる場面とか、嬉しそうに客席を見渡しているところとか、ステージと客席で成り立つコミュニケーションが大好きだ。あまりにも良い場所でその愛あるやり取りをたくさん観測した。

私の大好きな人は、目の前のお立ち台に足をかける際に必然的に視線が交わって、優しく微笑んでくれたのが嬉しかった。日々の色々なことを乗り越えてまっすぐ生きていれば、こういうご褒美みたいな良い日もあるんだなと思った。

 

 

私は恐らく生きていくだけでもストレスに感じることがそれなりに多く、日常を送るにも難儀なタイプなのかもしれないと大人になるにつれて実感している。音や光とうまく付き合っていくには工夫が必要だし、家に引きこもってゆっくり過ごす休日がないと自分を成り立たせられない。ゴシップを肴としてご飯が食べれるタイプでもないから、刺々しさが蔓延る場は苦手で人付き合いを避けてしまう場面もある。自分以外の人と関わるのが得意でないのに、誰もいないと寂しくて、ハリネズミのジレンマの典型例かもしれない。自分のことを美化するつもりは全くないけれど、客観的に考えた時に、もう少し意地悪に生きられた方が楽なんじゃないかとさえ思う。

冷静に捉えればアイドル現場に通うことにはあまり向いていないタイプなんじゃないか。そもそも社会生活に向いていない。卑下ではなく冷静にそう思うときはある。自分の範疇だけで暮らしていくのが最善策かも。

3週連続で遠征をするのは体調が大変な時もあったけど、毎週各地に行く機会をもらえるのがすごく楽しくて、いい経験をさせてもらった。山口公演の特典会でそう伝えたら、返ってきたのが冒頭の問いかけだ。毎週ライブを見て観光やグルメも楽しんで、様々な思い出を共有していく中で私の世界が広がっていることを感じ取ってくれたのだろう。なんて優しく、そして慈愛ある問いかけなんだろうと思った。

魔法使いのようなその人は、座り込んだこちらに合わせてしゃがみ込んで、隣で寄り添ってくれる。強引さを持たず、けれど思い遣ることは忘れず、同等の愛を返してくれる。のんびり屋さんだけど、大切なことは必ず言葉にしてくれる。だから大好きで、会いたくて、ステージに立つその姿を見ていたい。きっかけという名の魔法は私の世界を広げて、私の人生が楽しい旅をするためにあるのだと教えてくれた。この魔法を今はまっすぐ大切にして、続く旅路を愛していきたい。

 

記憶に眠る食卓

 

関東で生まれ育ち、親戚も関東か東北にしか居住していなかったので、遠征をするようになるまで西は関西までしか足を運んだことがなかった。とは言え関西に行ったのも片手に収まる回数だし、北海道は行ったことがあるけど一度しかない。必然的に私の味覚のほとんどは関東で構成された。たまに口にする東北のしょっぱさもルーツではあり、時折恋しくなる。

つまり成人するまで、遠征でより広く各地に足を運ぶようになるまで、醤油や味噌の味に地域差があることを知らなかった。白飯は必ず左に配膳しろと耳にタコができるほど言われてきたが、それが全国共通でないことを知って、あんなに厳しく言われてきたことはなんだったのかと愕然とした。家庭で肉じゃがを食べたことがなかったので地域によって肉の種類が異なることまで想像が及んだことがなかった。私が思っているよりこの国の食事は広くて深く、多様であると知った。

 

 

現場に足を運び、友人が増え、一緒にご飯を食べる機会に恵まれるようになった。様々な地域から来ている友人がいるものだから、地域の味の話をする場面も多い。自分の中で当たり前だと思っていたことが覆されるのは、驚くけれどそれ以上に面白い。今度その地に行ってみたいな、行ったらそれを買ってみようかな。或いはいつも行くスーパーで探して作ってみようかな、など。出会うことは選択肢が広がること。選択肢が広がることは暮らしの豊かさが深まること。

九州の甘いお醤油が大好きになって、九州へ遠征した際には殆ど毎回ミニボトルを買って帰っている。お刺身を甘いお醤油につけて食べるのが好き。いつものスーパーで買った普通のお刺身も、なんだか特別においしい。自分の誕生日とライブが重なったことから足を運んだ香川ではうどんのおいしさに感動して、うどん屋さんで売っていた特製のつゆを手に入れた。自宅のキッチンでこれを手に取るたびに、誕生日祝いが長く続いているような気がした。北海道で毎回買うお味噌汁の素は、忙しい朝に飲むだけで少し自分を勇気づけてくれる。書ききれないほどたくさんのおいしい記憶がある。私の食卓が形作られている。

そういえば肉じゃがに関しては私にとっての“家庭の味“が存在しないので、いつしかメンバーが配信していた時のレシピがそのまま私の味になっている。私自身は関東生まれなのにレシピに沿った結果牛肉で作ることになったけど、それはそれでいいでしょう。残念なことにレシピを書いたメモを紛失してしまった上にその配信が今では非公開になっているので、完全再現はできなくなってしまった。それでもアーカイブを見ながら初めて作ってみた日が懐かしい。給食以外で食べたことがなかったから味見してもこの味で良いのか分からず戸惑ったことさえ覚えている。旅先での出会いだけでなく、そういった日常のお裾分けもまた私の食卓に彩りを加えているのだ。友人と一緒にご飯を食べること自体もそうだ。誰かと一緒に食事をして美味しいねと笑い合うこと、相手が家族でなくたってそれも食卓と言えるでしょうと私は思っている。

例えば、遠征先の普通のスーパーに行って棚を覗いてみること。ご当地の調味料を買って普段の料理に使うこと。配信や動画、はたまた直接お話したときに聞いた美味しいものを作ってみること。各地のご飯屋さんやお土産屋さんに行くことも勿論大好きだしいつも張り切ってしまうけど、同等に自分の普段の暮らしにいろんなひと匙が溶け込んでいくことが、とても楽しくて心を満たしてくれている。楽しい時間が終わって日常に戻っても、非日常の幸せが存在していたことを証明してくれるような気がするから。その幸せが日常で沈んだ心を掬ってくれるし、またその幸せのために日常を積み重ねていこうと思えるのだ。

 

 

人間は歳をとっていくし、いつまでこの暮らしが続けられるかはわからない。出来るだけ長く続けるために健康でいたいけど。

いつか何もかもを思い出せなくなる時が来たとしても、楽しい日々と共に作り上げてきた食卓がずっと私を支えてきたということが、記憶の奥底には確かに眠っていますように。

美しい夜が明けないのなら

 

※野崎弁当大聖誕祭の内容に触れています。

 

"正しい動き"を考えるのであれば、動作は無駄がないことが最重要であり、無駄がないということは効率が良いということである。持ち得るエネルギーを目的の動きの遂行のために最大限発揮すること。例えば歩くにしても、前方へ推進することが目的であって、ふらついているならばそれはエネルギーが横方向へ分散している証拠だったりする。

なるべく疲れない動きをしたいのであれば、効率の良さを追求すべきなのかもしれない。移動としての動作であるならばそれが第一優先に上がるだろう。では、ダンスでは?

 

私自身はダンスを踊れないし専門として研究したことがないし、学問として語るならばどのような動きが追求されているのかは知らない。知らない上で書くけれど、正しい動きであればあるほど魅力的かというとそうではないかもしれない。正しい動きであれば惹かれる人は多くなる傾向はあるかもしれないが、それを美しいと思うか、好きと思うかは個々人によるだろう。

人間って人それぞれ好きと思うものや美しいと思うものは違うのに、美しいと思う時に反応する脳の部位は基本的に一緒なんだそうだ。神経美学という学問分野があり、私も学生時代に講演会で軽く触れたまでだが、この脳の仕組みってとても不思議で魅力的だなと思う。動作効率だけじゃなくて情動とかいろんなものをひっくるめて美しさの絶対的な定義はできない。でも、脳の根幹としての仕組みは人間みんな一緒なのだ。

 

私は推しのダンスがとても好きだ。でも上に挙げたような正しい動きを求めた“好き“かと言えば少し違っていて。

真面目さが見えるようなダンス。彼の伸びた腕が描く軌道が好きだ。めいいっぱい開いた手のひらは努力家であることを反映するようで輝いて見えるし、時々絡まりそうになりながら刻むステップは年々乗せる音の数が増えていて、鮮やかだ。練習の時にそうしているのか、リズムを口ずさみながら踊っている場面もあったりして、そこに膨大な努力が見えるような気がして、愛おしいなと思う。ダンスが上達していくのを目の当たりにする度に、その直向きな努力を実感する。自分が彼に出会ってからの数年間、上達の一途を辿り続けているのにはいつも新鮮に驚かされて、また好きの気持ちが増していくのだ。

 

聖誕祭でおこちゃま戦争を踊った後、あおいくんに「あなたそんなにダンスが好きでしたっけ?」と訊かれていた。はにかみながら「激しい振りを頑張って踊る僕が好きな人たちもいますから」と答えていて、思わず力一杯の拍手をして大きく頷いてしまった。そうなんだよ。この曲に限らず、演目全て真摯にやり切ったその心意気が好きだ。例年の聖誕祭と比べてマイルドだったのかどうかは置いておいて、いつも以上の熱量でいつも以上にしゃかりきにやり切る姿勢を見守らせてもらえた。本当に幸せだ。こちらがお祝いするはずが、気づけば大きなプレゼントを貰っていた。

努力が必ず叶うわけではなく、でも進化するには努力を重ねるほかなく、もしかしたら苦しい局面もあるかもしてないけれど。それでも私は、やっぱり、彼の努力が最大限報われてほしいのだ。どうしたってこの祈りに帰結する。だって大好きだから。そしてもしも疲れてしまった時には、寄りかかれる存在のひとつでいられたら嬉しい。

 

大聖誕祭のニアとSPiCaはあまりにも輝いていて希望そのものだった。夢や未来を語るのが苦手だと言っていたけれど、私からすればあれは夢であり未来そのものだった。あの輝きを終盤の踊ってみた演目で放てる技量。眩しく輝く星を眺めるようだった。楽しそうに幸せそうに、めいいっぱい踊る姿をずっと覚えていたい。私はあの姿を確かに“美しい“と感じたんだ。なにより美しく、大好きで、愛おしい。

きっと私はこの美しさを追いかけるためにこれからもライブに足を運ぶし、その感情を共有するために特典会に行くだろう。星の輝きを数えるようなこの日々が、どこまでも続いていきますように。

 

 

 

Pegさんの『ひつじがいっぴき』という曲が大好きです。大好きな歌詞のひとつ、「美しい夜が明けないのなら数字でも数えてみる?」は恐らく眠れぬ夜に数える羊のことを指しているのだろうけど、私には見上げた夜空の星の輝きのことも語っているように思えるのだ。美しい夜はなるべく明けないでほしいけれど、夜が明けてまた新しい星に出会うことができるのならば、その輝きを数えていたいものだ。

そして、いつか満天の星空に囲まれることを願ってやまない。

 

My precious Brown!

 

さて、今日は世界で1番大切な、大好きな人の誕生日です。

 

どこが好きですかと訊かれれば全部!と即答できるのだけど、ライブに行く理由と関連したものを挙げるならば「ステージに立つ姿がとびきり楽しそうなところ」「歌もダンスも天井なく進化していくところ」「MCで時折静かに満ちた表情をするところ」である。見ていて幸せな気持ちを貰えるのだ。

踊る時にまっすぐ伸びるようになった腕も、より多くのステップを刻めるようになった足も。さらに広い音域と感情を乗せて伸びやかに響く歌声も。

ステージ上のあなたを見て、ああ眩しいなと思うのだ。進化を続ける姿が、楽しそうにこちらを見るその眼差しが、未来を見据えて晴々とした表情を浮かべるその出立ちが。全部全部好きだ。大好きでしょうがなくて、はしゃいで幸せそうな姿を見るためにライブに足を運んでいる。そしてそれを見て、幸せを感じている人がここにいるよと伝えたくて足を運んでいる。あなたの輝きが、努力が、誰かを確かに幸せにしているよと。努力していることを大々的に発信することはないけれど、努力が積み重なっていることはステージを見れば一目瞭然だし、時折示唆するようなツイートがあるときは応援してほしい時だってわかっているので持ち得る限りの言葉で応援の気持ちを綴る。だってその努力は出来る限り実ってほしいから。或いは実った先で誰かを幸せにすると私は知っているから。

 

のんびり喋るところも、長考派だけど大切なことは躊躇わず言い切ってくれるところも、わかりやすいファンサは無くとも会場のどこにいても必ず見つけてくれるところも、全部大好きだ。お話ししている時に慈愛に満ちた眼差しをこちらに注いでくれるところも好き。ライブや楽曲の感想を勢いそのまま話す時、嬉しそうに見守ってくれるのも好き。暖かい陽だまりのようであり、静かな月夜の明るさのような、あなたの隣という居場所が大好きだ。隣でのんびりとおしゃべりさせてもらう時間が幸せだ。日向ぼっこをしているような、天体観測をしているような。同じ心を持つことはできないけれど、同じ時間を共有して言葉を交わす幸せは存在する。毎回そう感じさせてもらえているのは、あなたの持つ穏やかさ故だ。だから会いに行くし、話をしたくなる。あなただから話したいことがたくさんある。私にとってこれが幸せであるように、あなたにとってもそうでありますようにとここで祈る。

 

だからどうか、そのままでいてね。あなたはあなたのままでいて。

 

数年前に「私は野崎さんみたいな大人になりたいんです!」と言ったときは「俺にそんな憧れるところある?」と返されたけど、今ならなんて言ってくれるのかな。私の中で今でも憧れの大人であることは変わりない。ずっと大好きで憧れで、尊敬している。いつだって憧れて見上げる気持ちで好きなのだ。背筋が伸びるような好き。

私はあなたみたいな優しくて努力家で知性に溢れる大人になりたい。背伸びしたい場面や自分の心を守っておきたい日に茶色の服を選ぶようになったのはそういう気持ちの現れでもあると思っている。自分を守るマントでもあり、鎧でもあり、毛布でもある。

茶色は、私にとって宝物のように大切なあなたを象徴する色。私を守り、尊重してくれる色。何年もあなたを好きでいるうちに、世界で1番特別な色になった。あなたが宝物のように大切であることを証明するために、これからも私は茶色を纏い続けたい。

 

 

 

野崎弁当さんへ

40歳のお誕生日おめでとうございます。

これからも憧れの大人でいてください。健康で幸せでいてください。

でもなにより、あなたのままでいてくれたら嬉しいです。

限りない祝福をここに!

 

2026.4.28

 

白く眩しい旅をする

 

 

現在に至るまで愛用しているキャリーケースを買ったのは2022年、シングルコレクション北海道公演に行く時だった。オタクとして初めての遠征はその少し前のイイコノママデ大阪リリイベの時で、その時はリュックに荷物を詰め込んで行ったのだけど、流石に2泊3日はキャリーケースで行こうと思った。サイズも機能も何もかも自分にとって良いものが分からず、最終的に購入ボタンを押したのは北海道へ飛ぶ1週間前だった。ギリギリに届いた。ピンクにするか茶色にするか、はたまた好きな色にするか、でも華やかな色を選ぶ勇気もなく。汚れが目立ちにくくシンプルな黒やネイビーがいいなと思いつつ紛れてしまう色だから取り違えとか起こしたらどうしよう、何が正解か分からずネットを眺めては頭を悩ませた。

白いキャリーケース。シンプルだけど紛れにくく、当時の私が持てる最大限の勇気だった。最大の懸念点は汚れが目立つこと。

 

白い物を持つこと、とりわけ身に纏うことに抵抗感を抱えて生きてきたのは選択肢に入れる度に「汚したらどうするんだ」と言われてきたからで。起きていない未来の私を責めるような、嘲笑うようなその刺々しさに何度も身を竦めた。たしかに不注意な面があるから心配の気持ちがあったんだろうけど、幼くて繊細な私にはその心配が分かる以上に棘に刺されて痛かった。痛さを受け入れてまで白いものを選ぶ勇気はなかった。それから自分で働いたお金で物が買えるようになっても、過去の棘に刺されていた。

冬の北海道に行くにはダウンが必須ということも知って、出発前日に買いに行った。明日北海道へ行くんですと言ったらお店の店員さんは驚いていたけど、相談に乗ってもらった末に白い一着を買った。汚したらどうしようという気持ちを振り払えないまま、それと同時に推しの故郷へ初めて足を運べる嬉しさと綯い交ぜになって、白い私は一人暮らしの家を飛び出すように北海道へ旅に出た。雪が降る中白いキャリーケースを転がして、お店を訪れたりした。楽しかった。それから、白いキャリーケースも、白いお洋服を着ることも、旅に出ることも、私の暮らしの中で繰り返されて現在に至る。

今の私のクローゼットには白がいくつも並んでいる。私が白い物を選べるようになったのは私という存在がちゃんと守られていることがわかったからだ。私の好きなところはありますか?と恐れ多いながら聞いた昨年の特典会で「汚れのない感じで、包み込んで守ってあげたくなる存在」という言葉が返ってきて、ああ守られているなと思ったのだ。そんなあまりにも綺麗な言葉、私に値するのかと不思議にも思ったけれど、でも守られていることを信じることにした。もちろん年齢を重ねる中で物を汚さないように注意を払って行動できるようになったのもあるけれど、とはいえ今でもうっかりすることはあるけれど。大好きな人から贈られた言葉を思い出す度に愛おしくて、綺麗で眩しくて目を細めるような愛おしさに守られていると感じる。だから例え物に汚れがついたとしても、それは私自身が刺されて汚れることではなく、刺されていいはずもなく、守られていることには変わりないと思えるようになった。そう思えるようになったことで、白い物を選ぶこと、あるいは汚れがついてしまうことを過剰に怖がらなくなった。

 

今年のホワイトデー翌日の撮影会、ちょっとした記念と重なったこともあってブーケを持って会いに行くことにした。

特にこの一年ほどで貰ってきた言葉たちと感謝を象徴するようなお花を持って行きたくて、調べる中でこれだ!と思ったのは白い薔薇だった。「純粋」「深い尊敬」「相思相愛」だなんて、ぴったりだと思って迷いなく選んだ。メンバーセレクト衣装だけどホワイトデーだし白い衣装だろうと予想して、お気に入りの白いお洋服を着た。予想は的中して、素敵なブーケにも出会えて、いい写真が手元に残っている。

薔薇は棘があるけれど、白い薔薇を選んでも、もう棘には刺されない。

 

 

旅を重ねてきた白いキャリーケースは多少汚れがついたけど、汚れにすら愛着が湧いた。そう思えるのは、たくさん守られてきたから。守られていれば私自身は汚れることはない。

既に幕を開けた47都道府県ツアーも白いキャリーケースを携えて楽しんでいる。この先もそのつもりだ。この愛と共に、これからも白く眩しい旅をしようね。

 

満ちる月をも味方につけて

 

 

 

「あなたの隣は月明かりに照らされたみたいに静かで暖かくて、安心する」「じゃあ俺が満月になるからさ、ビカビカに照らしてあげるよ」

いつかの会話が大好きで、月を見上げる度に思い出す。眩しすぎるのは困るかも、なんて返したけれど、純粋な優しさが嬉しかった。

「月は満ちましたか?」「月は今宵も美しく‥」

今年のツアーに登場したこの台詞、なんてオシャレなんだろう!とときめいたことを覚えている。元々月や星が好きなのも去ることながら、その会話を思い出せるから尚のこときらめいて聞こえた。あと自分の声(ドクターコードウェル)に対してうんざりした顔をする推しを見るのも好きだった。ちなみに話の勿体振り方が一緒だからあなたの声だってすぐ気付きました。あのお芝居、大好きだったなあ。

 

今年リリースされた楽曲のどれもが魅力的だけど、やっぱり1番好きなのは『怪盗Mの白い予告状』。この曲を聴くと私の日常に蔓延る憂鬱を全て華麗に盗んで、鮮やかに変えてどこへでも連れ出してくれる気がする。そもそも怪盗コンセプトなんて大好きに決まっている。サブスク配信された日の朝、出勤する準備をしながら聞こえてきた「怪盗Mはいつもあなたの味方でいるから」という歌詞に思わず涙が溢れて、それを推しへのリプライに綴った。

そして幸運にも、リリース直後のツアー初日で推しチェキを当てた。何かメッセージを書いてくださいとお願いした中に“味方“という言葉が存在していて、さらにこの曲が大切になった。

素直に生きるにはこの世は棘が多すぎて息が詰まる。それでも素直であることを認めてくれるまなざしの柔らかさを信じたいのだ。この曲は、推しチェキのこのメッセージは私にとって1番のお守りになった。どんな悪意からだって守ってくれる。まるで愛情のベールみたい。

 

そんな私の2025年を語るにおいて、相思相愛という言葉が間違いなく鍵となるわけだが。

言葉の受け取り方が難しくて悩み尽くした。推しは私を悩ませるつもりでこの言葉をくれたわけではないのは良くわかっていて、私が考えすぎだということも理解していながらも悩まずにはいられなかった。一歩間違えたら烏滸がましいにも程がある解釈になってしまうので。必要以上に卑下することは失礼だから避けたいと思いつつ、どうすればいいのかよくわからなかった。悩みに悩んでどうすることもできず、畏れ多いんですと溢した私に対して「上手く噛み砕いて受け取ってくれていいんだよ」と優しいヒントをくれた。

そのヒントを得て思考を巡らせて、悩む中で気づいたのだ。少しでも逸れてしまえば誤解を招きかねない危険性がありながら、言葉の受け取り方を託してくれるということは、それだけ信頼してもらえているのかもしれないと。嬉しかった。託してくれることも深い信頼を向けてくれることも、愛情に他ならない。ステージに立つ姿を見せてもらえるだけでも幸せなのに、愛情を持ってして言葉を交わしてくれることが幸福そのものだ。幸せを貰いすぎているのではないか?と更なる悩みを産みそうになるほどに。流石にそれ以上終わりのない悩みを繰り広げるのはやめたけど、優しいヒントのおかげで着地点を見つけられたことを届けたい。

相思相愛という言葉が嬉しかった、たくさんの愛情を受け取った、貰うばかりで返せていないけど、と結局自信のなさが混在するままに伝えた12月の特典会、「じゃあ受け取ってくれてるってことだね?」と確信が滲む言葉を返してもらった。嬉しそうな顔をこちらに向けて。あ、この受け取り方で良かったんだな、葛藤の末に相思相愛という言葉を受け取れたことが伝わったな、と安堵した。

 

 

 

相思相愛ということでよろしいですか?と問いかけてくれたとき、秘密を分かち合うように控えめに、でもとびきり優しかった声音を今でも思い出せる。

とある小説家がアイラブユーを月が綺麗ですねと訳した心が少しわかるような気がするのだ。綺麗なものを分かち合いたいと思うこと。大切な感情をお裾分けしたいと思うこと。私が推しに会いに行く本質的な理由は恐らくこれだ。あなたとなら分かち合いたいものがたくさんあるから。こちらから見た景色を、あなたの輝きを、あるいは私の日常に潜む幸せを。分かち合うにはどうしても言葉にすることが必要で、その日の感情を上手に言語化できなくて眠れなくなってしまう夜もあるけれど。相思相愛という言葉を受け取れたように、眠りを待つ葛藤をも少しずつ受容できるようになりたいなと思う。

相思相愛とは多分、愛情を受け取り合うこと。偽りない眩しい気持ちを分かち合う日々がこれからも続きますように。

 

月を見上げるのが好きだ。なぜなら月は、愛情に満ちた味方がいることを私に教えてくれるから。だからこれからも照らしていてね。

 

 

 

 

 

 

ということで!毎年恒例の年末総決算おブログでした!

『怪盗Mの白い予告状』がリリース当初から大好きで、リリース直後のツアー初日で推しチェキを当てた所からいろんな想いを巡らせつつ過ごした1年間でした。推しの言葉は裏表なく嘘偽りない、そう信じると一度決心して覚悟を決めてもほんの些細な自分の心の揺らぎに振り回されて、その度に悩み考え尽くした日々でした。人間の、というか私の心がいかに不確かなのかということを改めて思い知りました。

でも不確かであっても良くて、その不確かさを好きになれなくとも良いんだと思っています。今夜も月が綺麗であること、星が瞬いていること、その輝きを共有したい相手がいること。私がこの不確かな心を抱えて明日からも生きていく理由なんてそれで十分なので。惜しみなく与えられた幸福を見失わないよう来年も過ごしたいと思います。なにより!来年は47都道府県ツアーがあるので盛大に楽しみ尽くしたい!

2025年も1年間ありがとうございました。ブログの更新機会は決して多くありませんでしたが、見守ってくださった全ての方に感謝でいっぱいです。それでは、良いお年を。

 

2025.12.28

夏霞に隠さぬ

 

 

 

 

浴衣の撮影会が楽しみでしょうがなくて、髪型やポーズを考えるために昨年の写真を見返したところで気が付いた。昨年のこの時期は、私はまだマスクをしたまま写真を撮っていた。稀にマスクを外していたこともあったけど、基本的には昨夏まではマスクをしていたようだ。元よりメイクに疎くなんとなく適当に済ませているうちにコロナ禍に入り、マスクありきの自分の顔に慣れてしまっていた。自分がメイクに力を入れているというのがなんとなく苦手でコンプレックスを持ちながらもあまり研究をしてこなかった。でも昨秋頃からマスクを取るようになり、同時に口元を含めたメイクを自分なりに変えていった。幼少期から続く笑顔のぎこちなさが気になって、推しと写真を撮る度に上手く笑えているか気にして、自分の表情も含めて好きな写真が少しずつ増えていった。

 

昨年に引き続き浴衣は自分で着付けることにした。昨年購入したお気に入りの浴衣は今年目にしてもかわいらしくて、色を合わせた髪飾りを新しく購入した。とはいえ昨年振りの着付けを当日ぶっつけ本番で敢行した自分はなかなか勇者だけど、簡易的なものではなくちゃんと着付けが必要な浴衣を選んで、自らの装いに対して丁寧さを持つというのはいいことだなと思った。髪型もこだわりたいがそこまでの余裕と器用さはなかったので、美容師さんにお願いすることにした。推しに会いに行く装いを何年も何回も考えるうちに、自分の要望や迷っていてアドバイスが欲しい点をいい塩梅で伝えられるようになっている自分がいることに気が付いた。

 

お気に入りの写真が増えていくことで写真を見返すことも増えて、自分はこんなにも柔らかい表情ができるんだと知った。そして非常に烏滸がましい発言だけれど、推しとおんなじような笑い方をしている写真があって。それも1枚ではない。顔の造形は全然違うのに、眼差しも笑みも、おんなじような柔らかさを纏うようになったようだ。いい影響を受けている。

推しのどこが好きかに言及するとき私はほとんど内面を挙げるが、実はとても顔が好きだ。スタイルも好き。外見が好きなうえでそれでも好意を言語化するときに内面にばかり言葉が向くのは、自分でも思っている以上に内面に惚れ惚れしているからだろう。

最近もやっぱり顔が好きだと思っている。でもこれは、その視線や笑い方の奥にある内面の暖かさを良く知っているからだと自分でも気が付いている。第一印象としてのかっこいい!かわいい!ではなく、内包されるものを教えてもらえているから、受け取れるようになったからこそのそれらを全てひっくるめての”好き”だ。顔が好き。あなたのその表情を作り上げる内面の豊かさが好き。

 

今年の浴衣撮影会で撮った写真には、一方が相手を見ていてもう一方が手元を見ているものが両者のパターンで存在している。交わる視線も交わらない視線も、愛を物語っていることには変わりはないと象徴するような写真だと感じている。実際その眼差しや笑みはおんなじ柔らかさを纏っているのが嬉しくて。相思相愛ってこのときの会話でも改めて言われたけど、こういうことなのかもしれない。細部に至るまで同じことを考えているわけではないけど、相手に対して柔らかい気持ちで接したいという気持ちは共通している。その気持ちが佇まいに表出していることも共通している、きっとね。

相思相愛という言葉の重さが未だに畏れ多くて受け取り切れていないけど、大好きだよと言われて咄嗟に発したのが「伝わってるし、受け取ってますよ」だったのは何ひとつ嘘じゃない。伝わってるよといつも言ってくれるように、私も同じなんだよ。その実私は自分の言葉に不足がないか度々心配になるし、だからつい言葉を重ねたくなって冗長になることも多いけど、私自身でさえ言語化しきれない内面を眼差しや笑みが映し伝えてくれていると信じたい。

 

 

マスクを取るということは素顔を見せるということで、物理的な意味合いだけではなくまたひとつ自分の内面を見せるのに等しいのではないだろうか。そんなことを考え尽くした夏だった。これからも考えること、伝えること、続けていこうね。