夜空は嘘をつかない

難しいことは後回し

春爛漫に祈らない

 

 

推し切るって何だろうなと考えている。

どうあがいても推しが卒業する未来は変えられなくて。例え自分が”いいオタク”であろうともきっと自分が後悔することは避けられない。どう頑張っても自分は何らかの後悔を抱くだろうと当然のように考えていた。

推しが「みんなには後悔しないでほしい。推し切った!と思ってほしい」と発していたのを聞いて初めて、後悔しない未来もあるのかもしれないと思えたのだ。そして、そのためには、と冒頭の問いに戻る。

 

これはあくまでも私の捉え方だけれど、自分の「後悔は避けられない」と考える要因のひとつは泣いて暮れる日々が待ち受けているだろうなという予感だ。こんなに大好きな人たちと、愛しき日々と、別れを告げなくてはならないこと。当然のように隣で話を聞いてくれた世界一信頼できる人と会えなくなってしまうこと。どれもこれも想像するだけで今でさえ涙がこぼれてしまうのだ。

泣くことと後悔することは、必ずしもイコールではない。

ここ数日になってようやく気付いた。愛しさを思い出して泣くこと、会えなくなった人を想って泣くこと、自分のこれからの日々を憂い泣くこと、どれも後悔ではないのだ。

 

私は昔から泣き虫で、自分が悪くない場面でも泣いてしまうことが多かった。その度に叱られ自分を責めていたけれど今ならわかる。泣くことは、悪いことではないのだと。

だからここからの1か月、あるいはその先の日々で涙に暮れることがあっても、どうか自分を責めないでほしい。雁字搦めにならないで、落ちたその涙を貴方だけは無かったことにしないでほしい。彼らも歌うように美談にする必要はなく、無理に受け入れなくてもいいと思うから。

 

冒頭の問いへの現時点での私の答えは、言葉を惜しまないこと、だと思う。

 

推しが卒業する未来は変わらない。言葉を尽くそうともそれは変わらないけれど、それならば、自分ができる唯一の贈り物が彼の行く先の後押しとなってほしいのだ。

勿論会えなくなってしまう友達に対しても一緒で、ほんの少しでも、この先の人生の一助となれたらと思う。

 

秋の終わりに差し掛かり、冬が来て、また春になる。春爛漫のそのときに笑えなくともいい。前向きでなくとも、抜け殻のようになってしまってもいい。春爛漫には祈らないけれど、人生が交わるその一瞬があなたにとって輝きであることを祈っている。

 

どうかみなさま、ご自愛ください。それでは。

2023.11.8