夜空は嘘をつかない

難しいことは後回し

ねがいごとのかなえかた

Wish Noteというものを知っていますか?

平たく言えばやりたいことリストみたいな感じです。

いつ願ったものなのか、いつまでに叶えたいか、を添えて夢を書いていきます。

他にもルールはあるのですがここでは割愛します。気になった方は調べてみてください。(もしかしたらこのルールも私がこれを知ったきっかけの人だけが提唱しているのかもしれませんし。まあそんな話は置いておいて)

 

このWish Noteは書くだけでなく見返すことも必要なのですが、面白いことに、どんな願いがいつ頃書いてあるかによって当時自分が何に興味関心を持っていたのかがわかるんです。日記のようでもありますね。あの頃はあんなことに興味を持っていたけど、この時期からこういう話を記すようになったんだなとか。私は一定の時期からわかりやすくMeseMoa.に関する記述が増えるのですが、自分がオタクとして何を願うのかの変遷もまた面白いなあと思います。

記した夢の中には今となっては叶わないであろうことも数多書いてあります。学生時代にやりたかったこととか。それでも叶った夢もまた数多あるわけで。そういえばああいうことをWish Noteに書いた気がすると思い至って、ノートを開いて、並んだ夢を眺める時間はなんだか愛おしくもあります。

 

そういえば一昨日のライブで叶ったことがあるはずだと思い出してノートを開いたわけですが。こんな記述を見つけました。

 

推しのセンター曲を生で聞く

 

忘れてたわけじゃないしノートを見返さずとも願っていたことなんですけど、記した日付に驚いたのです。2020年2月末。

烏合之衆のリリースに触発されて書いたことなんて容易に想像できます。でも私、2年半も前から推しのセンター曲を願っていたんだと、そんな長い間だっけ?

私は推しが注目されることとか、センターを貰うこととか自体に執着はそこまでないです。渡されたものを受け取ってそのまま喜ぼうという精神が自分の中にあるので、どんな形だってアイドルが見せてくれるものは嬉しいし、そこで推しがフィーチャーされてなくても怒りとか悲しさは無い訳です。文字にするとなんだが薄情なオタクですね。

ただ、推しがセンターを貰えたら、きっと推し本人はすごく喜ぶだろうし、たくさんの人に祝福されるだろうし、そんな姿を見られたらいいなと思ってはいたのです。

どうやら私が思っていたよりも前から、私はそれを願っていたんですね。そしてそれが叶う未来がついにやってくるのです。

 

2年半前の私は、それこそ以前のブログで書いた自分の夢を叶える前の私は、想像していましたか?こんなに幸せだということを。途方もない苦難が幾つもあってもそれでも今幸せだと思えるなんて、思い描いてないでしょう?

推しが以前「アイドルが先か、オタクが先か」理論を述べていましたがこんなの絶対オタクが貰い過ぎに決まってます。先程渡されたまま受け取る精神だと書きましたがこれだけは譲れません。絶対に譲りません。いつか激論を交わそうと目論んでいるのはここだけの秘密ですよ。

話が逸れましたね。まあそれだけ私は推しに幸せにしてもらってるということです。推し自身もまた、同じくらい幸せを感じてくれていたらいいなと願っています。

 

 

 

余談ですが今年は通りすがりに短冊を見つけて、記したねがいごとがあります。

MeseMoa.の皆がずっと幸せでいられますように!”

目立つように一番上に飾っておきました。

誰よりも大切なあなたたちが叶えてくれると私は信じてます。ステージを降りた先でもずっと。