夜空は嘘をつかない

難しいことは後回し

鏡に輝くのはあなた

 

※野崎弁当聖誕祭2023の内容に触れていますのでご注意ください

 

 

去年はお誕生日お祝いブログ書いたな〜どんなんだったかな〜と思って読んだら想像の1000倍言語化が上手くて自分にびっくりしました(自画自賛しすぎでは?)(ただの記憶喪失)

 

 

 

聖誕祭1部が終わり、カフェでひとやすみしながらこれを書いています。

大人の仲間入りをしてはや何年、自分も時折思うのです。こうやってアイドルオタクしていなかったら、イベントにそこまで通っていなかったら、もっと社会人としての何かとの関わりに時間とお金を割いているのだろうかと。元々社交的ではないのですが、人の顔色を伺う癖がある故に「これでいいのかな」と考えてしまいます。

私はこの人のどんなところが好きなんだろう。推しフィルターがかかりすぎて全部好きになってしまうので(言葉にして気づく重症さ)、我に帰るように自分の心の中を覗く瞬間があります。

 

 

私は野崎さんが、自分に似合うものをわかっているところが好きです。

好きなものが自然と似合うような、そんな魅力を持っているところもそうですし、数ある選択肢の中でも"野崎弁当として"似合うものを選び取れる賢さがあるところ。あくまでも演じているわけではなくて、そのままの彼でアイドルとしての自分に花を添えられるところが好きです。(眼鏡のセレクトとか!)

自分に似合うものを選び取るのって結構難しいですよね。まるで鏡のように自分を見ることができなければちぐはぐなものを選んでしまったり、時にはその選択で人を傷つけてしまったりするわけです。自分のことを100%客観視することはできないし、自分を見る視線があまりにも自己乖離してしまってもそれは自分のためにはならないでしょう。

 

"オタクは推しに似る"という言葉があります。私の場合は本が好きだったりインドア派で1人が好きだったり元々似ている部分があって野崎さんを好きになったんだと思います。似ていない部分の方が多いですが、私が特に大切にしている私自身のある側面が彼の一側面と一致しているように感じるときがあります。

自分に似ているけれどやっぱり似ていない部分もあって、全てが似る必要はないのですが、自分に似合うものを選び取れるところは私にも溶け込むといいなと思います。

あの人が野崎さんのオタクでよかったねと思ってもらえるような人間になりたいです。願わくば、木漏れ日を柔らかく反射するような鏡に。

 

 

野崎弁当さんへ

37歳の誕生日おめでとうございます

これからも太陽の光のように輝くあなたの姿を見守らせてください

どこまでも行けると信じてます

紫陽花と薔薇と銀木犀

みなさんこんにちは。年末総決算おブログの時期がやってきましたね!(※私が勝手にそう呼んでいるだけです)

私はこの1年を一言で表すなら「楽しかった!」という言葉が飛び出してきます。受け入れるのに時間がかかる発表もあったけど、それでも見に行ったステージの数だけ楽しさが積み重なりました。

みなさんはどんな1年を過ごしましたか?

 

***

 

*決意の紫陽花

 あの日のことはあまり覚えていない。というか思い出すには未だに勇気が必要だ。なんなら公式アカウントの1番上に固定されているのを目にするだけで心臓が騒ぎ出してしまう。

 覚えているのは、夕飯など作れそうにないと駅前で買ったファストフードと、奇妙な色をした空と、誰にも言わず平静を装って仕事をすべく翌日丁寧にとったメモ。それと紫陽花。

 奇妙な空の写真を撮ることすら怖くて、寝転んでぼんやりと眺めるばかりだった。翌日になってこの時間を写真に残したいと思って、撮ったのが通勤路の紫陽花の写真だった。いっそ残酷なほど鮮やかな、私の生まれた季節に咲く花。紫陽花が咲く季節になる度にこの日のことを否応なしに思い出すのだろう。

 様々なことを天秤にかけた上でできる限り多くのステージを見に行こうという結論に至った。推しているふたりのことが大好きで、9人が大好きなことはこの先ずっと変わらないのだ。だから目の前の"楽しい!"を追いかけなくちゃ。愛し愛されていることを忘れないでいたい。

 

*気付きの薔薇

 幾重にも絡まったこの呪いはまるで薔薇の棘みたいだと自嘲しつつ過ごしていた日々。時々思い出しては心の傷をひっかくのをやめられなかった。

 過去のブログにも書いたことある気がするので詳しく記さないけど、優等生な自分が大嫌いで、いい子として生きてきたことがなによりコンプレックスだった。成人してからも褒められることがとても苦手だった。その褒め言葉はあなたにとって都合がいいだけでしょう?そんな私が新曲のタイトルを目にしたとき最初に感じたのは怯えだった。推しのセンター曲、かつ作詞を務めることに対する喜びとはまた別に拭いきれない恐怖と闘いながらリリース日を迎えた。

 2番は"いい子"の色がやけに強いなと落ち着いて考えたところで、あれ、私、こんなに自分に近い言葉に直面しても、心の傷が痛まない。これまでならジクジクと主張していたはずなのに。いつから?なにがきっかけ?

 現在に至るまで明確なきっかけは分からず仕舞いだが、それでも呪いが解けたことに気づけた。推しによるとこの呪いは魔法とも呼べるらしいけど。

 お祝いの気持ちを込めて部屋に薔薇を飾った。それを眺めながら、私にとってこの薔薇は、飾るまでの日々がなにより価値あるものだと示すものなんだと思った。ガラスの靴なんてこの手にはない、足元を彩るのはヒールもないお気に入りのブーツだけど、それでいいのだ。魔法は解けたんだから走り出さなきゃ、だって運命は止まってなんてくれないんだから。

 

*出会いの銀木犀

 昔から金木犀が好きだ。秋の訪れを告げる、何にも例えられない甘い香り。あまりにも好きなものだから、大人になったら金木犀の香りものをたくさん使うんだ!と思っていたくらい。

 金木犀の仲間に銀木犀というものがあるということを知ったのは今年の、金木犀が香り始めてからだった。そもそも銀木犀が金木犀のベースになっているとかいないとか。金木犀より爽やかな香りがするのよ、でも珍しいからほとんど見かけないのだけれど、と教えてもらい、いつか出会えたらいいなと思っていた。

 生まれてからずっと住んでいた街を出て移り住んだこの土地の、季節の色を私はまだ知らない。回り道をしながら家へ向かっていた休日、金木犀に似た香りを捉えた。もしかしてこれは。誘われるがままに近づけばそこには確かに形の似た少し白い花が咲いていた。驚きと嬉しさで早くなる足取りの中、いつも通る道にも銀木犀が咲いていることにも気づいた。それから私は、この花の前を通ることを楽しみにして過ごすのだ。

 行きつけのお店はいくつかできたけどまだまだ探検不足なこの街から、ずっと足を運びたかったいくつもの場所に訪れることのできた季節だった。推しのセンター曲、リリースイベントの最初から最後まで(もちろん行っていない場所もあるけど)参加できて幸せだった。"足を運ぶ"という行動で示す愛が少しでも彼らに伝わっていることを願う。

 ツイッターの下書きに"この日々を経た先で新しい景色が見れるという朧げな確信がある"という一文が眠っていた。この1年を、殊にこの季節を過ごして私が出会ったのは、自由になった自分だった。肩身の狭さが色濃く映る学生時代(そのうち終わりの2年間はコロナの時代でもあった)を経て、自分に科していたしがらみをほどいて、たくさんの人や景色に出会うことができた。好きな服を着られるようになった。誰に告げずとも行きたい場所に行けるようになった。仕事を終えて電車に飛び乗って遠征する、という学生時代の憧れを叶えることもできた。出会うならばいつか別れがくることはわかっている(つもりだ)けど、これから先も出会う人生を、それを選び取れる自分でいる日々を送れますように。 

 銀木犀は、まだ咲いている。

 

***

 

「楽しかった!」と思う割に落ち着いた内容になってしまいました。まあいっか。

それはそうと、去年ここにやりたいことたくさん書いといたらそれなりの確率で叶ったので今年も書くことにします。(突然のコーナー化)

今年は名古屋と仙台を通り越して大阪と北海道に行ったので来年こそ名古屋と仙台に行きたい!オタクに限らずそもそも西は関西までしか行ったことないのでその先に行きたいですね、福岡行きたい〜〜!

ツアーいつも1公演しか行かないので複数箇所行くのも目標です。だって短期間で変化・成長していくのを感じるのって絶対楽しいじゃん。休みはなんとかします。

そしてね、連番チャンスを惜しくも逃したので来年こそですね。私は基本的にひとりでふらふらしてるので連番探してるぞ〜って方はぜひ声かけてください……というか空き時間に行きたい場所あるけど一緒に行く人いないやってときも連れ回してもらって構わないので!ひとりでも楽しいけど、誰かと一緒ならもっと楽しいもんね。

あと推しチェキ当てますからね!!!!!!!絶対!!!!!!!!!落書きチェキもたくさん引かせてくれよな!!!!

待って大事なこと忘れてた…せっかくのグルショを逃してしまったので来年も絶対やってくださいじゃないズも10shotも今度こそ行きますからね絶対……!あとファンミも!

(ここでひと呼吸)

 

今年も1年間ありがとうございました。

ブログを読んでくれるみなさんに感謝です。引き続きネットの海の中でも、そして現場でも仲良くしてもらえたら嬉しいです。

来年には確実にいくつかの別れが訪れることを思うと胸が苦しいけれど、その恐怖に囚われすぎず目の前の時間を大切にしたいと思っています。

みなさんの心身の健康と幸せを祈って。良いお年を!

流れ星に答え合わせ

夜中に目が覚めてしまったある日、流星群の夜だと知ったので明かりを消して窓を開けて空を見上げた。とっくにピークを過ぎていたのでどうかなと思いながら、冬の空気の冷たさに身を震わせる。そういえばこうやって夜空を眺めることも少なくなったなとあれこれ考える。月明かりが眩しい夜だけど案外星はたくさん見えて感嘆の溜息をつく。もう見えないかなと思ったそのとき、大きな流れ星がひとつだけ見えた。

 

 

探すのをやめてしまうのは結構簡単だ。流れる時の中で探していたことさえそのうち忘れてしまって、なんとなく時間の浪費を続ける。思い出したとしても探し続けなかった理由をつけて、そうして過去のものにしていく。人間ってそういうものなんだろう。

辿り着くはずの星を見失った私は、私生活に限らず色々なものを探すことをやめてしまった。大人になったというよりは諦めをつけて自分の傷を浅く済ませるための自己保身。そうした方が、なんだかんだ楽だから。

 

 

あのときの私は茨城公演と北海道公演に行くことを画策していた。推しにおめでとうと伝えたいし、北海道公演は自分の誕生日の数日前だった。中止の知らせを聞いた後、大泣きした私はどうやって気持ちの整理をつけたのだろう。思い出せない。大泣きしてしまうぐらい楽しみにしていたことだけは確かだ。

今となれば正確には整理しきれなくて、だからずっとその衣装に燻る心、今年のライブハウスツアーおよび冬ツアーの開催地が発表されたときに「絶対に行く!」と迷いなく思う心があったのだろう。

 

 

茨城は奇跡的に一般発売で取れたからほぼ逆最だったしセンターが見えなかったけど、今の彼らをあのサイズの会場で見れるのもまた幸せだなあと思った。雨が降りしきる湿気の多い日で観光は叶わなかったけど、茨城発祥のカフェに入って眺めた街の景色は未だ鮮明に覚えている。近しい場所に住む人とそこから離れた場所で会うのも不思議な感覚だった。

実はあのとき足を運ぶ予定で、これはリベンジなんですという話をした特典会後のライブで、選んだソロ曲も衣装も推し本人の口から「あのときやるはずだったから」という理由がついていると聞いた。こちらと同じように思いを抱えていたのだろうか。その場に立ち会えたことが嬉しかった。

 

冬の北海道に足を運ぶのは初めてだった。そもそも北海道に行くのが15年ぶりとか。あれが食べたいこれをお土産に買いたいとはしゃぎにはしゃいで、とても楽しかった。最高のエンターテイメントを見れたのは勿論のこと、夏の現場で交わした「次は北海道で会おうね」の約束も実現できて嬉しかった。凍るような澄んだ冷たささえ大切な思い出だ。

凱旋おめでとうと伝えたら推しは、朝1番の部だったこともあるのかぽやぽやとしたまま「気づいたら帰ってきてたよ」と言っていた。でもその"気づいたら"までには多くの努力が積み重なっていて、それこそあの道を走る日々が礎のひとつになっているんだろうなと勝手ながら考えた。また連れてきてくださいねと約束したから、きっと必ずまた来れるかな。

 

 

首都圏に住んでいるが故に足を伸ばさなくても欲しいものは手に入るし、ライブにも行くことができる。探さなくても生きていけてしまう生活の中で、その外側に連れ出してくれたのは推したちだ。探して手を伸ばしてその過程で傷つくことがあっても、今の私には寄り添ってくれるあなたがいるから大丈夫。あなたたちと一緒ならどこまでも行ける気がする。

 

 

思い描いた星には辿り着けなかった。見失ってしまったことに絶望した。それは変わりない。

探し求めた先で見つけた流れ星は、これまで生きてきた中で1番綺麗だった。いつかこの日々を思い出にする時が来ようとも、楽しかったな幸せだったなと思うことを確信している。名前も顔も交わした言葉も思い出せなくなってもきっと、いや絶対に、この輝きだけは私の心の底で眠りつづけるのだろう。

これが今の私の答えだ。

日差しも記憶もきらめいて

 

 

夏は正直好きじゃない。

茹だるような暑さですぐ汗だくになる。大の苦手(というか天敵)の蝉はそこらじゅうにいて油断ならない。どこにも行きたくないのでクーラーの効いた場所に引きこもるけど、クーラーの風を浴びすぎると体調を崩す。

寒いは寒いで身体が動かないけど底冷えするような寒さの方がまだ好きだ。やはり夏は好きじゃない。

 

 

就職して慌ただしく一人暮らしを始めて、毎日に追われている間に夏が来た。

意外にも学生の時より社会人になった今の方が時間の融通が効きやすいことに気づいて(これは昨今の情勢変化の影響もある。息の詰まるような自粛ムードは薄まった気がするし)、そして未来の期限を知って、今年の夏は自分なりに思う存分ライブに行こうと思った。推しの聖誕祭に、グループの記念日ライブ、事務所全体のライブと、そして推しの凱旋公演。

記念日ライブ以外は初めてだった。ライブ日程が発表される度に手帳と睨めっこして、幸運なことに夏休みをバラバラに取得できるのでそれを上手く使って、ひさびさにチケット発売に追われて。特に記念日ライブから凱旋公演までは1ヶ月もなくて、1ヶ月の間に3回もライブに行くなんてことも初めてだった。純粋に嬉しかった。

 

 

私は人生を「人に出会う」ものだと捉えている。

現場に行くときひとりでいることの多い私にとってこの夏は、たくさんの出会いがあった夏だった。未来の期限が決まってしまい「ひとつひとつの機会を逃してはならない」と思ったのが大きな理由で、小心者ながら勇気を出して会う約束を取り付けたりした。ネット上でどれだけ話していてもいざ顔を合わせるとなると緊張した。話せた嬉しさと緊張とで頭の中が落ち着かなくて「あのね、あのね」とたどたどしく話す私にみんなはいつも優しかった。少し勇気を持って踏み出せばこんなにも世界は広くて、鮮やかなんだと実感しながら辿る家路すら愛おしかった。

自粛ムードは薄まったとはいえ未だ不安定な世界の中で未来の約束が欲しかった。だからできるだけ次の予定を聞いて「じゃあまた○○で会おうね!」と声をかけるようにした。「またね」と言えることが、今の自分にとっての希望だ。

約束をしたから、その日まで健康でいなくては。お互いね。

 

ひさしぶりと口にできることもまた、はじめましてと比べられないくらいうれしい。

3年近く会えていなかった友だちに再会した。私は現場に行き始めたのが2019年だったから、コロナ前にお会いできたフォロワーさんはほんのひと握りな訳だけど。
顔を見て、名前を呼んで、思わずハグした。その場では夢中でお喋りをしたから後から気づいたことだったけど、この難しい世界の中でお互いの困難を抱えながらもそれらに押し潰されず、そしてなにより彼らを大好きなままの自分たちが今日までずっと生きていることが、どんなにすごいことなのか。
大袈裟かもしれないけど、生きてたらいいこともあるんだなあと思った。

 

ライブがたくさんあるということは、有難いことに特典会もたくさんあるわけで。この夏の間にオンライン特典会にも1回参加したので、次に推しと話す機会が1週間後なんてこともあった。幸せだ。

当時の史上最大キャパを控えた中で「前よりもっともっと君が近くに見える」と歌うような、彼らの変わらない飾らなさが好きだ。特典会に参加するとよりそれを感じるし、この夏の特典会はこれまでで一番リラックスして話せた気がする。

まさに”前よりもっともっと君が近くに見える”という感覚で。心の距離が少し縮まったような気がしている。推しがどう思っているかわからないけれど、大好きの気持ちが少しでも伝わっていたら、とてもうれしい。

(とはいえ私は毎回緊張してしまうし話したいことが飛ぶなんて頻回だけど)(つい先日、凱旋公演の特典会でも推しの顔見た瞬間用意していた話題吹き飛んだ)

 

 

それから。

この夏は現場に行くときに必ず、ペディキュアをしていた。と言っても単色を塗るだけではあるけれど。なるべくそのライブに合わせた色を塗る、というじぶんルールをこっそり設けていた。聖誕祭ははっきりとした発色のピンクを、記念日ライブと事務所ライブでは共通のカラーであるオレンジを。凱旋公演の時はこの冬も使えるような、少し落ち着いた濃いピンクを。

ライブの後も数日間落とさずにいたので、生活の中でふと目に入ったその色に励まされ、勇気をもらい、愛をなぞった。彩られたのは爪だけじゃなくて、私の生活も心もだった。きっとまた同じ色を塗るときに、この夏の幸せを思い返すのだろう。

 

 

 

 

好きじゃないはずの夏が終わることが、今年はこんなにもさみしい。

大好きな秋はすぐそこまで来ている。秋は自分の生活が中心になるけれど、そのうち忙しくて幸せな冬が来る。おめでとうとありがとうと大好きと愛してるを詰め込んだ冬にしたい。

 

来年の夏は。もしかしたら推しはステージにいないかもしれない。未来はわからないことだらけだ。

それでも、来年の夏も楽しい夏になると信じている。

ねがいごとのかなえかた

Wish Noteというものを知っていますか?

平たく言えばやりたいことリストみたいな感じです。

いつ願ったものなのか、いつまでに叶えたいか、を添えて夢を書いていきます。

他にもルールはあるのですがここでは割愛します。気になった方は調べてみてください。(もしかしたらこのルールも私がこれを知ったきっかけの人だけが提唱しているのかもしれませんし。まあそんな話は置いておいて)

 

このWish Noteは書くだけでなく見返すことも必要なのですが、面白いことに、どんな願いがいつ頃書いてあるかによって当時自分が何に興味関心を持っていたのかがわかるんです。日記のようでもありますね。あの頃はあんなことに興味を持っていたけど、この時期からこういう話を記すようになったんだなとか。私は一定の時期からわかりやすくMeseMoa.に関する記述が増えるのですが、自分がオタクとして何を願うのかの変遷もまた面白いなあと思います。

記した夢の中には今となっては叶わないであろうことも数多書いてあります。学生時代にやりたかったこととか。それでも叶った夢もまた数多あるわけで。そういえばああいうことをWish Noteに書いた気がすると思い至って、ノートを開いて、並んだ夢を眺める時間はなんだか愛おしくもあります。

 

そういえば一昨日のライブで叶ったことがあるはずだと思い出してノートを開いたわけですが。こんな記述を見つけました。

 

推しのセンター曲を生で聞く

 

忘れてたわけじゃないしノートを見返さずとも願っていたことなんですけど、記した日付に驚いたのです。2020年2月末。

烏合之衆のリリースに触発されて書いたことなんて容易に想像できます。でも私、2年半も前から推しのセンター曲を願っていたんだと、そんな長い間だっけ?

私は推しが注目されることとか、センターを貰うこととか自体に執着はそこまでないです。渡されたものを受け取ってそのまま喜ぼうという精神が自分の中にあるので、どんな形だってアイドルが見せてくれるものは嬉しいし、そこで推しがフィーチャーされてなくても怒りとか悲しさは無い訳です。文字にするとなんだが薄情なオタクですね。

ただ、推しがセンターを貰えたら、きっと推し本人はすごく喜ぶだろうし、たくさんの人に祝福されるだろうし、そんな姿を見られたらいいなと思ってはいたのです。

どうやら私が思っていたよりも前から、私はそれを願っていたんですね。そしてそれが叶う未来がついにやってくるのです。

 

2年半前の私は、それこそ以前のブログで書いた自分の夢を叶える前の私は、想像していましたか?こんなに幸せだということを。途方もない苦難が幾つもあってもそれでも今幸せだと思えるなんて、思い描いてないでしょう?

推しが以前「アイドルが先か、オタクが先か」理論を述べていましたがこんなの絶対オタクが貰い過ぎに決まってます。先程渡されたまま受け取る精神だと書きましたがこれだけは譲れません。絶対に譲りません。いつか激論を交わそうと目論んでいるのはここだけの秘密ですよ。

話が逸れましたね。まあそれだけ私は推しに幸せにしてもらってるということです。推し自身もまた、同じくらい幸せを感じてくれていたらいいなと願っています。

 

 

 

余談ですが今年は通りすがりに短冊を見つけて、記したねがいごとがあります。

MeseMoa.の皆がずっと幸せでいられますように!”

目立つように一番上に飾っておきました。

誰よりも大切なあなたたちが叶えてくれると私は信じてます。ステージを降りた先でもずっと。

 

 

魔法使いは幸福を唱える

 

 

※にーちゃん聖誕祭に行ったオタクの感想文となります。ネタバレ(みたいな記述)がありますので見たくない方はブラウザバック推奨です。

 

 

 

記念日にブログ書ける人ってすごい、と言いつつ10周年のときもブログ上げたし今回もブログを書いてます。珍しいですね。

ということで大切なもうひとりの推し、にーちゃんの誕生日をお祝いするブログです。

 

 

FCに入ろうと思ったのはそもそも、推しの誕生日をお祝いする"聖誕祭"というイベントに行ってみたいなと思ったからでした。

歌って踊ってもトークしても何しても良し、時にはゲストを呼んで、(当時は)推し考案のオリジナルメニューを食べられる。その人を推している人が集まる空間って絶対幸せじゃん!と思ったのです。

2020年1月にFCに入ってから聖誕祭がなくなって、はたまた復活しても都合がつかなくて泣く泣く参加を見送って、ようやく今回初めて行けたわけです!

 

帰りの電車でこれを書いてます。

いやーーーー!楽しかったなあ!!!

 

開演前にパッションピンクを灯した2本のペンライトを握りしめながら、大好きな推しの幸せのひとつになれたらいいなと願いました。私が推しにどう認識されてるかとか、いつも幸せにしてもらってばっかりで推しの力に果たしてなれているだろうかとか全然わかりません。それでも私が灯した明かりがあなたの幸せのひとつになれていたらそれでいいなと。

会場の明かりが落ちて少し左右を見渡すとパッションピンクしか目に入らなくて、なんて幸せな景色なんだろうと思いました。幕張で見た一面のパッションピンクをふと思い出しました。

 

もうライブ中はとにかく楽しくてしょうがなくて!詳しく曲名は上げませんが夏にはしゃぐ曲も桜吹雪が見える曲も、そしてそして私が大好きな、静かに煌めく夜に連れ出してくれるあの曲も。贅沢すぎるほど音楽を浴びてしまいました。座っていたはずなのに明日は筋肉痛の予感がします。既に太ももが痛いです。

 

コールが出来なくてマスクもしている中どうやってこちらの"楽しい"を伝えたらいいんだろうとたまに思うのです。

今日なんとなくわかった気がしました。ライブ中に合わせてくれる目で、見つめ返す目で、伝わった気がしたのです。そしてとにかく楽しそうな人の姿をこの目に映すことはなんて幸せなんだろう。気づいたら涙が溢れていました。幸せな涙、夢中になって拭えなくて、推しに見られてたかもしれません。

 

そういえば初めて推しに会ったとき、唐突に「チケ発からの2ヶ月間ずっと楽しみにしてて、忙しくても頑張ろうって思えて、頑張れました!」と伝えました。それまでリプを送るのもライブに足を運ぶのもほとんどしたことのない人間が突然現れてこんなことを言うのもまあびっくりした話です。それでも推しは優しく笑って「お力添えできてたら何よりです!」と返してくれました。

今回もチケ発からの2ヶ月間ずっとこれを楽しみに踏ん張ってきました。あのはじめましての時から何度も会話を重ねて少し相手のペースがわかってきて、嬉しいことに双方向のコミュニケーションができるようになった気がします。(尤もこれは推しが双方向のコミュニケーションを当たり前のようにしてくれるすごいアイドルだからですが)

今日のお見送りの短いやりとりでも同じポーズをして笑い合ったり相手の言葉に咄嗟に手で反応したり、私と推しの3年間が詰まってる気がしました。嬉しい!もっと仲良くなれたらいいな。

 

MCの中で信頼関係の話がありました。最近思うのは、どれだけ想われていても受け取り手がその相手の想いを真っ向から信じなければ、想いはきちんと届かないということです。ツイキャスなどで常々「みんなのことが大好き」と言うのはきっと、みんなという名でひとりひとりを指しているんだと感じています。だからまずは相手の想いを信じなきゃと。

信頼関係があると推しに思われてるの、本当に嬉しいことですよね。これは推し自身も私たちのことを信じてくれているからですね。その信頼に恥じないひとりでいたいなと思うばかりです。

 

 

 

 

真っ直ぐで、仲間と応援してくれる人のことが大好きで、劣等感や傷も時には抱いて、それでもアイドルでいてくれる大好きなあなた。

 

にーちゃんへ 誕生日おめでとうございます

幸せな1日を、これまでの日をありがとう。これからもそばにいさせてもらえたら嬉しいです。

信頼してくれてありがとう。あなたの見ている世界がどうか、愛に満ち溢れたものでありますように。

2022.7.13

 

 

 

 

 

 

 

 

 

希望の歌は海の向こうで鳴り響く

 

 

MeseMoa.さん 10周年おめでとうございます

 

 

 

10年前の私は何をしていたかな。

あおいくんと同世代の私は当時中学生のはず。勉強はしつつ好き勝手生きて、毎日賑やかで楽しかった覚えがあります。とにかく目の前が楽しければよかった、そんな日々。

 

 

10年間私は何をしてきたかな。

世間のことなんて何も知らない中学生だった私も高校生になって、大学に入って、社会人になりました。

時には遠回りもしたし、暗闇の中に蹲るような日々もありました。それでもそのときの私が掴み切れる幸せを選んで、それを大事に抱えて、幾千の選択を繰り返して、今日という日まで歩んできました。私にしかできない経験もたくさんしてきました。

私にとってこの10年間は短いようでとても長いものでした。とりわけあなたたちに出会ってからの3年余りは信じられないほど豊かな日々で、時には悲しみを覚えることもあったけど、3年とは思えないほど思い出がたくさんあります。なによりキラキラした時間を過ごしてきました。全部ぜんぶあなたたちがいたからです。

 

 

私が共に過ごせたのは10年のうちの3年だけ、でもその3年が少しでもあなたたちの力になっていますようにと願わずにはいられません。

「一緒にいたい」という気持ちのなんと暖かいことか。メンバーのみならずスタッフさん、そしてイルミィに対してその気持ちを真っ直ぐぶつけてくれるところが大好きです。

一緒にいてくれてありがとう。

 

 

さて、MeseMoa.が、というよりエンターテイメント業界全体が壁にぶつかった2年前の3月。そのとき私は日本から遠く離れた国にいました。時差は半日。明日さえどうなるかわからない状況のなか勢いそのまま日本を飛び出して、知らない国の知らない町で自分の夢のひとつを叶えることにしました。

この町は大きくはないけど小さすぎない。そんなところが好きなのだとホストファザーが語っていたのを思い出します。町の中心部にある小高い丘までドライブに連れて行ってくれたあの日。窓から見下ろした景色、なにより青く輝く海。私自身が海のある都市で生まれ育ったこともあり、海に囲まれたこの町はすぐに大好きな場所になりました。

ホームステイしていた家も海沿いから丘を上がったところにあって、リビングから海が見えました。同じような高さで並ぶ対岸の建物の光がきらきらと輝いて、夜は一等綺麗でした。朝もまた然り、朝日に照らされた海面に海霧が立ち込めた景色を見つつ丘を下りバス停に向かうのが楽しみでした。

時差が半日なので、私がリビングから海を眺め朝食を作っているそのとき日本は夜です。当時グループ毎に行われていたYouTubeでのライブ配信。支度に追われながら聞いていたことを鮮明に覚えています。発売直後のシングルのカップリングとして歌われたその曲を、私は彼らが立つステージより遥か海の向こうで聞いていたのです。

 

 

輝く海の景色はいつも胸にあったけれど、それを鮮明に思い出したのは昨年の幕張公演です。アイドルドリームを詰め込んだセットの真ん中に作られたセンターステージ。輝くそのステージから響くその歌を聞いたとき、あの朝見た海の青さが脳裏に蘇りました。そうだ私、あのとき、海の向こうでこの希望の歌を聞いたんだ。小さな会場で鳴り響いた光の歌声は、画面越しに海の向こうに私の元に届いたんだと。

 

 

私に夢を叶える勇気をくれたのは他の誰でもないMeseMoa.のみなさんです。どんなときも希望を見失わない。夢を口にし続け、叶うと信じ続ける。努力する。あなたたちに背中を押されて、私は夢を叶えることができました。

中学生の頃から抱いていた「留学したい」という夢はあなたたちに出会えたからこそ叶ったと思っています。私はこの10年のなかで夢を抱いてそれを叶えて更にその先の人生を歩んでいます。

暗闇の中にいた日々も、あなたたちと出会うための道筋だったならなんだっていいなと今では思えるのです。

私の人生に現れてくれてありがとう。これから先もずっとずっと大好きです。

 

 

 

 

 

限りないありがとうとおめでとうを。あなたたちがこれからもいつまでも光の道を歩めますように。その景色を共に見ることができますように。

あなたたちと一緒にいられるこの上ない喜びをここに。

2022.5.10